田之太夫
マイブームです。三代目澤村田之助丈。
杉本苑子氏「女形の歯」、皆川博子氏「花闇」2冊続けて読みました。
今は南條範夫氏「三世澤村田之助」を図書館で予約中。
「花闇」は田之助丈の一代記、「女形の歯」はそのダイジェスト版と
いった感じです。
☆『花闇』 皆川博子著
弟子市川三すじの眼を通して、田之助という毒と輝きをもった
人物が語られる。
なんというか耽美ってのは、こういうことを言うのかと思うほど
空気が濃くて。
読み終わった後、いくつか調べた部分もあるんですけど
「あ、そうなのね」と思う程度でした。
どこまでが史実でどこからが創作かなんてことは、優れた作品の
前では大きな問題ではないんです。
当時(幕末)の世相に合致した人だったんですね、田野太夫。
鶴屋南北だったり河竹黙阿弥。
因縁話がからんだ世話物で、仕掛けやら責め場やら
視覚的に刺激を受ける作品が出てきた時代。
それを稀代の美貌とされた女形・田之助が演じるとなれば
さぞや食指を動かされたと思います。
ただ性格的にはかなり問題あり。
その辺りを三すじは擁護するでもなく突き放すでもなく適度な
距離を置いて見ているのが面白い。
三すじにとって田之助は一番に守るべき、敬うべき人。
だけど割り切ってその「役」に徹することができない。
同じ歌舞伎役者としての視線を感じるときがあって
三すじ自身も身分違いはは感じるもののどうにも割り切れていない。
淡々と時に冷淡に師匠・田之助を見つめている眼が
なんとも共感してしまう。
「そんなもんだよな」と感じる自分がいました。
こういう感情は田之助・三すじ師弟が共に女形というところにも
関連があるのかもしれません。
二人が共に立役だったらまたちょっと違った関係になったと思います。
で、忘れちゃいけないのが三すじを通して知り合うことになる
浮世絵画家の月岡芳年。
血みどろ画で有名な画家さんです。
この記事書きながら芳年についても調べましたが
無意識に夜中作業することを避けている自分が…![]()
かたや無惨絵画家・かたや毒婦役虐められ役を得意とする女形。
芳年と田之助には同じ匂いがするけれどもどうやら芳年の片思いで
関係は終わります。
「見立多以尽」に関するエピソードなんかはホロッとさせられます。
「澤村田之助が脚を切った。その年に徳川幕府は滅びたのだな」
芳年の言葉。
この後数年してお上の意向で歌舞伎は大きく変化していきます。
「死と性を謳いあげた江戸末期の芝居はとどめをさされ
”善悪邪正の節正しく””温和平旦のこと”を演じる新しい東京の芝居」
田之助と常に意見がぶつかった團十郎が脚光を浴びるようになる
基盤がこの時できたように感じました。
三代目田之助というとどうしても四肢切断という話題で
見られがちですがこの作品の中ではそれは添え物。
相当な役者馬鹿で高慢な女形の、超越したプロ意識。
併せて腐敗直前の妖しさを余すところなく発揮し、狂死という
考えようによっては一番相応しい死に方をした大輪の花だったように
思います。
☆『女形の歯』 杉本苑子著
こちらは「春日局」の中に収録されている短編です。
田之助の右足切断手術終了後から始まり、座敷牢で狂死するまでを
描いています。
狂いだしてからの描写はこちらの方が生々しいです。
読んでいる間中、これ舞台化するんだったら
田之助は澤村籐十郎さんだったら素敵だろうなと思っていました。
調べてみると、14~5年前に実際に関西で歌舞伎の演目として
上演されていました。
すっごく見たかった。
ただ澤村籐十郎丈、今は療養中ですのでできたら一門の方に
是非とも受け継いでいただきたいです。
もちろん事情が許せば籐十郎丈ご本人で見てみたいのは
言うまでもありません。
「花闇」に関してはもっと感じたことたくさんあります。
自分の語彙力のなさがもどかしい。
劇聖といわれた九代目團十郎も、田之助の毒舌にかかっては
形無し。
余談ですが團十郎の名跡って
新之助→海老蔵→團十郎と襲名していくものかと思っていました。
必ずしもそうでない、というかこういう順序で襲名していくのは
ごくごく最近ということを知りました。
作品中に出てくる七代目團十郎は團十郎→海老蔵と襲名してる。
そしてもう一人。五代目菊五郎。
小説の中のことって、日常とは切り離されたものと感じてしまいがち。
ましてや江戸末期~明治初期。完全に歴史の中のこと。
ですがこの方は当代勘三郎さんのひいお祖父ちゃんにあたる方。
そう思うと遠い昔のことではないんだと思えました。
久しぶりに歌舞伎見に行きたい!!!
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